息継ぎ

ボランティアってなんなんだろう?
この活動を始めた頃は、とにかく必要であれば何でも!と思っていましたか、いつのころからか考えだしていました。

で、最近思っていることがあります。

ボランティアって息継ぎを教えることににてるんじゃないかって。
私は、小さい頃から水泳をやっていたので、若い頃インストラクターとして働いていた経験があります。

あの頃に、小さい子から年配の方まで教えていた、長く泳ぐための方法であり、楽しく楽に泳ぐための方法でもある正しい息継ぎのカリキュラムに似ている気がします。

みんな、ここまで必死に無我夢中で息継ぎも知らないで泳いで来た人たちに、息継ぎしないと長く泳げないよ、まず、泳ぎながらゆっくりいっぱい息をはいて、はいた分は顔を上げたら自然に息がすえてるから。
いっぱいはかなきゃ、いっぱい入ってこないし、また顔をつけて泳いでも苦しくて泳げなくなっちゃう。
そして、いつか泳ぐのが怖くなってします。顔をつけるのが怖くて臆病になってしまうんだ。
でも、大丈夫。こうしたら苦しくないでしょ?って。

生死をさまよって、やっと生還したけど辛い現実があって、避難生活は辛くて、余震のたびに悪夢がよみがえる。
そんな生活を手探りで、自己流でなんとか毎日を送って泳いでいる。
そこに、息継ぎするために吐き出すことをお手伝いすること。
泣いていいんだよ。文句を言っていいんだよ。怒って感情出していいんだよ。苦しかったこと全て吐き出してって。
そして、全て吐き出したら、今度は素敵なものや、笑顔や、感動や喜びでいっぱいにしてあげる。いっぱい吸い込んでもらう。いっぱい吐き出せば吸い込むのは簡単なんだよってね。
そして、帰るところも無い、仕事も失った、家族も友達も失った、思い出も全て流された現実にまた戻って泳いで行く。これは、短距離ではなく長い遠泳になるでしょう。
でも、今度は苦しくなる前にゆっくり息を吐き続け、息が切れたら顔を上げいっぱい吸い込めば大丈夫。

そうして、一人で泳げるようになって行くのを見届ける。近すぎず、でも何かあれば手の届く範囲で。

結局、ずっと一緒にはいてあげられない。ずっと手伝ってはあげられない。いつかは一人で泳がなければならないですから。

そして息継ぎの補助はやりすぎないこと、矯正しないこと。人それぞれの呼吸の形があり、それを活かすことが一番楽なその人にあった呼吸のしかただから。

私のボランティアもそうでなければならないようです。

white man

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