それぞれのマナー

被災地は、なんとか交通網を復活させるために、道路の瓦礫の撤去が最優先で行われています。
そのおかげで、かなりの地域が車で入れるようになりました。
しかし、まだ応急処置で、道は凸凹で、車が二台すれ違えるかどうかの幅を確保するのがやっとです。

上記の状況で、非常に見逃せないことを最近目にします。
きれいな観光バスで、ハザードつけて停まり、多くのスーツ姿の人たちが降りてきて、
カメラ片手に案内人の話を聞いていて、何やら写真を撮っています。
高そうなスーツにきれいな靴。偉そうに案内人に指示してる。

企業のお偉いさん。政治家さん。
やることが違うんじゃないですかね?
どこの誰とは言いません。
そういう大人を見ている現地の子供は、どうやって未来を信じていけるのか教えてほしいです。
まだ、自分たちでは何も動かせなく、何も決めることが出来ない中で、必死に自分たちの役割を果たそうとしている子供たちに見せていい姿ではないです。

みんな、お風呂もろくに入れず、手も洗えず、着替える服も多くない中、
せめて配慮が欲しいです。

もちろん、バスのせいで車は大渋滞。
それでもオカマイナイシに視察なのか観光なのかわからないことを行っている。
後ろに車が連なっていなければ、ご礼参(あいさつ)に車を降りて行くところでした。

また、ボランティアに入らせてもらっているところが、前回も言ったように有名人が
多数入っているところだからか、毎日のように訪問者が来ますね。
それも、支援の名を付けた人たち。

でも、何もすること無く、話だけ聞いて帰って行きます。
中には自分たちの団体の自慢話して帰る人も。
「え?何しに来たの?」
と思って言いそうになりますけど、僕は新参者。
迷惑かけないように黙ってます。
気が長くなったのか、大人になったのかわかりませんが、いつもの私なら大人げなく
レクリエーションしてたでしょうね。

報道のカメラもです。
突然来て、30秒くらいとって何も言わず出て行きます。
ズカズカと土足で入って。
ファインダーやレンズを通せば被写体は心の無いロボットに見えますか?

また、一番拳を握ったのは、もうプレイルームの時間が終わって、子供たちが
掃除をがんばっている中、ひょこっと現れた医療チームが、
「写真取りたいので、遊んでいるふりしてください」

・・・・・。

危なかったですねー
思わずしまっていたプロジェクターを投球するところでした。
子供たちに演技、すなわち嘘をつかせて平気なんですかね?

言いたいことは、
ここに生き残った人たちの体験や数々の爪痕、先に入って一生懸命支援している
団体の経験、全てタダでは聞いてはいけないし、そんなに簡単なものじゃないと
いうことです。
話を聞きたいのであれば、自分を知ってもらう時間が必要だし、大変な経験を
話してもらうんなら初めて会って聞けるようなものじゃない。
もっと自分たちが来る前から支えてきた人たちも、辛かっただろうし、努力もした
はずです。そして何より、被災者と生活を共にしたからボランティアが出来、心も
開いてもらっている。
そいうい時間軸と経験があってのものです。

バシャバシャと写真をとってる人たちはそこが誰かの家だったんだと思っているんですかね?
自分の家なら、撮られてうれしいですかね?
通常時のきれいなままならそれは良いでしょう。
でも、大破した家を撮られてうれしい人なんていないと思います。

私も写真やムービーは撮ります。
話も聞きます。
でも、まずボランティアで少しでも何かを出来た後です。
それも、撮る前に心の中で「失礼します」と言いショットは一枚だけです。
だから、写真はほとんど夕方の日が落ちる前か薄暗いのが
多いですよね?
突然「きみたち」なんて話しかけたりしないです。

今を伝えることは大切だと思います。
でも、その前に配慮しなきゃならないマナーがあるんじゃないでしょうか?
それは、人それぞれで良いと思いますが、上記の人たちはとても個々の配慮が
あっての行動とは思えません。

もし、本当に情報を得たいのなら現地の人たちの生活を共にして共感して
心を開いてもらってからにして欲しいと思うのです。

white man

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それぞれのマナー への1件のコメント

  1. はじめまして。
    white manさんの活動されていた期間中に看護協会から派遣されていた看護師(♂)です。
    私も、活動中の避難所での写真撮影は避難所の方の心情を考えるとできませんでした。なので医療チーム、考えたくないのですがDMATの方が報告のためにそのような事をやったのかもしれないですね。でも、決して許せることではないと思います。
    活動中、プレイルーム近くを通る機会がありましたが、子供たちの笑顔で遊ぶ様子が伺えただけで心が熱くなりました。
    私も再び派遣される機会があったら、また渡波の避難者の方に会いたい。
    個人的にはみんなのために身を粉にして頑張ってらっしゃった館長の誠さんのために力になりたい。そう心から思います。